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はじめての方へ

質屋の歴史についてご紹介します。時代ドラマなどで質屋がストーリー中に出てくるシーンを見たことがある方も多いかもしれません。そのイメージがあると、「江戸時代が始まり」だと思いますが、実がもっと歴史が古く、日本では今から約780年前の鎌倉時代から始まったとされているのです。

文献に質屋が初めて登場したのは藤原定家の日記『明月記』の中で、「戸倉(土蔵)」という質屋を指す言葉が登場していたとされています。鎌倉時代から現在まで、庶民金融の主力として存在する質屋。長い歴史を簡単に紐解いてみましょう。

戸倉と呼ばれた中世の質屋


質屋が一般的になったのは、貨幣経済が定着した頃からと言われています。不況などにより、貨幣が安定しない時はダイレクトに庶民の生活に影響が出ます。そんな時にはモノを貨幣に変えることができる質屋の存在は、庶民にとってはお守り的な存在だったのかもしれません。

そもそも質屋業は「造り酒屋」の兼業として始められました。質屋は副業的存在だったんですね。一見気軽な始まりであっても、庶民金融としての影響力も大きく、中世の日本の金融経済は質屋が支配していたといっても過言ではないほどです。

しかし制度の変更もしょっちゅうあったこの時代。借金棒引き制度が施行されたり、質蔵の打ちこわし等があり、店を存続するのも大変な情勢でした。質屋経営は戦々恐々としたものだったと想像できます。

江戸時代が現在の質屋の基本形が完成


江戸時代に入ってようやく質屋が定着し、店の数も一気に増えました。三代将軍徳川家光の時代に、質屋の機構はほぼ完成。名称も「土倉」から「質屋」に改められました。質屋という呼び名は江戸時代からのものなんですね。その後5代将軍徳川綱吉の時代となると、高度成長によって景気が上向きになりいわゆるバブルを迎えます。質屋もその波にのり、最盛期を迎えたそうです。しかし享保時代となると、徳川吉宗の「享保の改革」が施行され質素倹約時代となりました。すると買い控えが起こり、今までとは打って変わって不況がやってきます。不況になった時には江戸市中の質屋の数がぐっと増えたと言われています。質屋は不況の時に活躍するのかもしれませんね。その後、質屋取締令の強化などの影響で、淘汰される店も出てきて生き残りが厳しい状況になっていきます。

明治時代の質屋は文学作品にも登場


明治時代に入ると金融業者の分業が進んで、銀行は今のような事業融資を中心に、質屋は質草(質に入れる品物)をとって小口の消費金融を専門することになっていきました。よく明治の文学作品にも質屋が登場するシーンがあるのでご存じの方も多いのではないでしょうか。実際に安岡章太郎の作品に『質屋の女房』というものがあったりします。給料前借りが厳しい時にちょっと質屋へ行くなど、庶民にとって身近な場所だったことが伺えます。

当時は預かるものの条件は保管に手間のかからないもの、変質しないものが求められたそうです。衣料品がダントツのトップで、ついで鍬、染糸、前鋸、キセル、鍋や釜、食器類などがありました。ちなみに衣料品以外はほとんどが商売道具で、質流しすることはほとんどなかったとのこと。中には冬に蚊帳を持ち込んで、夏にお金とともに受け取りに行く人もいたそうです。



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